日本人であれば必ず行ってほしい場所
以前、東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館に行った時の話をします。
ハンセン病ってご存じでしょうか?恥ずかしながら私は知りませんでした。友人看護師より話を聞いて、ハンセン病資料館があることを知りました。
人類の歴史上もっとも古くから知られ、恐れられてきた病気の一つであるハンセン病は、らい菌(Mycobacterium leprae)が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症ですが、治療法が確立された現代では完治する病気です。1873年にらい菌を発見したノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師の名前をとり、ハンセン病と呼ばれるようになりました。
日本では8世紀につくられた「日本書紀」にハンセン病に関して記録が残されています。歴史上の人物では戦国武将の大谷吉継がハンセン病に罹患していたとされ、病気に関わる逸話が伝わっています。また古い時代から日本の患者には、家族に迷惑がかからないように住み慣れた故郷を離れて放浪する「放浪らい」と呼ばれた方も数多くいました。その後、明治時代に入り「癩予防に関する件」「癩予防法」の法律が制定され、隔離政策がとられるようになり、ハンセン病患者の人権が大きく侵害されました。第二次大戦後も強制隔離政策を継続する「らい予防法」が制定され、苦難の歴史は続きました。療養所で暮らす元患者らの努力等によって、「らい予防法」は1996年に廃止され、2001年に同法による国家賠償請求が認められました。
最近ニュースでも連日取り上げられているので知ってる方も増えたかと思いますが、国家賠償請求というのがあまり進んでおりません。長引かせて請求人口を減らしているのは他の事例をみても、昔からのやり方としても明らかです。日本は貧乏な国になりました。
国立ハンセン病資料館は元々療養所があった場所付近に設立されました。とても静かな場所で不思議な感覚を覚えています。療養所と言ってますが、実際は強制収容所です。薄暗い部屋に数人押し込めらる状態です。粗末な食事に監視員に暴力を受ける。そんなところが全国各地にありました。ニュースで報道されているように不妊手術も行われておりました。
当時は明治政府が作った法律のせいもあり、療養所に連れていかれるのが当たり前の時代です。得体の知れない者への恐怖というのは誰にでもあるでしょう。自分の家族、身内にすら見捨てられるので地獄ですよね。これが心の傷となっている声が一番多い気がしました。
ニュースだけ見ていると賠償金に意識がいきがちです。やはり当時患者がどのような仕打ちを受けていたのかを”知ること”が未来に向けて大切だと思います。
今回の見学に限ることなく、機会があれば当事者の講演会などに出席してみるつもりです。知ったつもりが一番恥ずかしい。